2011年3月
三条祭りを支える人々 宮司編
三条祭りを支える人々
~三条八幡宮 藤崎重康 宮司~
インタビュアー(以下、I):
改めてお聞きしますが、祭りにおける宮司さんの役割をお聞かせください。
藤崎宮司(以下、宮司):
八幡宮の年に一度の大事な例大祭を取り仕切る「斎主」という意味で、神事を取り仕切る最高責任者という立場になります。
I:三条八幡宮にとっては「5月15日」が一番大切な日ということになりますね。
宮司:石清水八幡宮から神様を三条にお連れしたのが旧暦の3月15日でした。明治7年に現在の暦に改められたときに5月15日に移しました。ですので、5月15日はいわば三条の八幡宮の誕生日ということになります。当日は午前10時から神事を始め、神主さんが6人ほど集まって行うわけですが、私がその長ということで取り仕切ることになります。
I:大名行列の中での宮司さんの役割はどういったものでしょうか?
宮司:まず神様の御室を開けて、祝詞をあげる形で感謝を申し上げます。そして行列という神事の中で、その神様を氏子の郷にお連れするお伴としての役割となります。ですので、神輿の後をずっと付いて行くわけです。先供、導祖神が行列を先導し、そのあとに色々な旗や道具を持った人たちが続きます。あれもみんなお伴であり、神様を警護する役割という意味もあります。その後に囃子方の祭り囃子が続いていって行列を構成して市中をめぐるわけです。なので、あれだけの人数でお伴し、お護りして市中をめぐるところが、三条祭りの中で最大の見せ場ということになりますね。
I:導祖神の役割というのはどういったものなのでしょうか?
宮司:道先案内人ということになります。日本の神話の中で天照大神のお孫さんに当たる瓊々杵尊(ニニギノミコト)が、それまで住んでいた高天原から地上に降りてきた際に道先案内人をした猿田彦命(サルタヒコノミコト)が由来となって導祖神を表しています。その姿が目はほおずきのように輝き、鼻が非常に長いという特徴があり、それが面の姿に表れています。ですので、一般的に「天狗」と言われますが、鞍馬天狗とかカラス天狗のような妖怪や想像上の生き物のイメージではなく、道先案内人兼ガードマンとしての猿田彦命を表した神様なので、「導祖神」というのが適切なのです。
I:由緒ある役柄ですね。
宮司:導祖神会は、頭をなでてもらえば健康に育つといったいわれが出るような信仰の対象となる神様を演じる由緒ある役割を受け持つので、2週間前から精進潔斎をして初めて行列に参加します。ですので、他の団体とは格が違ってくるわけです。1822年に当時の三条の領主だった村上藩の内藤信篤が京都所司代に任命されたお祝いとして、それまで行われていた神輿渡御、正確には御神幸祭と言いますが、それに先供、いわゆる奴がついて今の形になったとされています。
I:神輿渡御と大名行列が合体したというイメージでしょうか。
宮司:京都所司代になるには10万石の禄高が必要で、当時の村上藩は正確には10万石はなかったのですが、それでも京都所司代に任命されたので10万石格式の立派な大名行列の要素を神輿渡御に取り入れました。ですので、導祖神に先立って先供がつくようになりました。その先供は当時の江戸に行って、奴のしぐさを勉強してきたくらいですから、本来は「御神幸祭」と言うのですが、やっぱり一般的には大名行列と呼ばれるわけで、それだけ先供の役割が大きいということになりますね。そして囃子方の後に1本が1万石を表す押槍が並ぶわけですから、やっぱり大名行列と呼ばれるようになりますね。
I:原始的な神輿渡御は導祖神が先頭で囃子方が最後だったのでしょうか?
宮司:傘鉾がいつからついたかはわかりませんが、それも後世につけられたものなので除かれるとして、原始的な神輿渡御はそういう形だったと思います。1811年(文化8年)3月15日の神輿渡御の記録には道具を投げる奴振りの記録がありませんし、もちろん押槍も道具の目録には入っていません。余談ですが「八幡」の名前の由来は「八つの旛(旗)」から来ています。行列の持ち物には「八つの旗」があるのはそのためです。振り返ってこの記録を見ると、しっかり8本の旗がありますね。今の奴が持つ道具も記載されていますが、おそらくこの頃は投げたりせずにしっかり持ってそのまま歩いていたのだと思います。この11年後に今の形に近づいたのでしょうね。ですから1822年というのが大きな節目の一つになります。明治6年の記録になると奴がしっかり登場してきます。明治の三条大火で一度道具は焼失してしまいますが、明治44年に新しい道具が作られて、現在の持ち物につながってきます。
I:余談ですが、本物の大名本人が並んだということはないのでしょうか?
宮司:それは無いと思いますが、記録には諸士官、つまり当時のお役人が並んだとは書いてあります。戦前は三条市長も宮司と同じ格好をして並びました。その頃の神社はすべて国の管理下にあって一体だったので、行政の長も宮司と同格で並んでいたのでしょう。戦後は政教分離ということで並ばなくなりましたが。
宮司:当時は行列のルートも今とは違っていましたよ。
I:詳しく聞かせてください。
宮司:今の神明宮を経由して、昭栄通りのところを通り、本寺小路から本町通りにもう一度出て、参道に戻ってきていました。帰りのルートも今のように田島の諏訪神社で一度解散して駆け足で戻ってくるようなことはせず、境内に戻ってくるまでしっかりと行列をしていたようです。田島の諏訪神社まで行くようになったのは、戦後の土田市長の時代になってからです。というのも一ノ木戸は高崎藩の領地で、他藩の領地のところを大名行列が回るはずはないので、その境目のところで折り返して戻ってくるというのがかつてのルートでした。戦争中に中断されていた行列が戦後に復活した時に今のルートになったと思います。
宮司:囃子方の囃子が変わる個所がありますよね。
I:はい。
宮司:北三条駅の通りと松谷小路、神明宮のところで囃子の曲がテンポの良い曲に変わるんですね。明らかなのは神明宮のところで神様がそばを通るのでお参りするわけです。今は我々神官だけがお参りしますが、進行方向に向かって横に神様がいるわけだから、昔は当然行列の人達も横を向いたと思うのです。
宮司:ここからは私の仮説なのですが、持ち物の中に大鉾といった大きな台車に乗せたものがありますが、それも途中横を通る神社の方向を向いたと思います。その車の方向を横に切る行為を「車切(しゃぎり)」といいます。京都などの大きな山車を使う祭りで、その山車を横に切るときのお囃子の曲がまさに「車切」という曲名です。歌舞伎にも同じ曲名がありますし、三条を領地にしていた村上藩の本拠地の村上の「おしゃぎり」という祭りがありますね。あれも大きい山車を出す祭りで、「車切」という言葉と関連があると思います。
宮司:ですので、大名行列で囃子方の曲が変わる個所には必ず他の神社と関連がある場所です。松谷小路では今は土手の方に上がりましたが大町の住吉神社が、神明宮はすぐ横を通るからすぐにわかります。北三条の通りの所は昔村上藩の陣屋があったからと言う説もありますが、明治初年くらいの古地図を見ると、今の弥彦線の高架下付近に諏訪神社があったので、そこにお参りをしていたのではないかと思います。
I:大鉾も神輿も、本来であったら他の神社のところを通ったら向きを変えなくてはいけないのですね。
宮司:多分そうだと思います、私が考えるには。
I:囃子の曲が変わるところにも注目する価値がありますね。
宮司:囃子方の方たちが知っているかどうか私はわからないのですが、三条の囃子の曲は片仮名で「シャギリ」と言うので、村上の「おしゃぎり」等の関係も考えると、かなり確度の高い説だと考えています。
I:最後に大名行列で特に注目して観て欲しいところをPRしてください。
宮司:まずは奴振りの技です。道具の投げ方や歩き方の技術を昔ながらのやり方で維持しているのは全国的にかなり珍しいものです。全国から問い合わせなどもあったりして、招待されたりすることもあります。持ち物によっても掛け声が違います。そして導祖神。1枚歯の高下駄で高いところから周りを見回して威圧する様は、まさに導祖する猿田彦命になりきっています。それと先ほど仮説を述べさせていただいた囃子の曲が変わるところです。威勢のよい曲に変わる地点がどこか、注意してみるのも楽しみの一つです。後は、拝殿を新しくした時に一緒に新しくキレイにした道具も一緒に見てください。
三条祭り 第1回全体会議
3月4日(金)にハミングプラザVIPにて、「三条祭り 第1回全体会議」が開催されました。
冒頭、今年の三条祭りを応援してくださるダイドードリンコ様と、特集番組を制作・放映していただくNST様の紹介がありました。ダイドードリンコ様は、日本古来の文化の伝承として、毎年全国各地で開催される祭りを応援する活動をされております。今年は新潟県の数あるお祭りの中から三条祭りが選ばれ、ダイドードリンコ様の応援のもと、NST様が特集番組を制作・放送する運びとなりました。詳しくはホームページ「ダイドードリンコ日本の祭り2011」内の三条祭りのコーナーをクリックして参照してください。
その後、藤崎宮司・馬場祭典委員長より挨拶があり、今年も凛とした大名行列をとり行えるよう、訓示がありました。
続いて、三条祭り若衆会に会員を出向させている(社)燕三条青年会議所理事長・落合孝夫、三条エコノミークラブ副会長・大西朗両氏より、今年の三条祭りへの意気込みを含めた挨拶がありました。
またオブザーバーとして三条商工会議所青年部次年度会長・佐藤佳宏氏、次年度お祭り員会担当副会長・佐野徹氏、次年度お祭り委員会委員長・近藤守和氏の商会がありました。
その後、藤井会長から「今年は日曜日開催となるので、例年以上にしっかりした会運営を行っていきたい」旨のあいさつの後、副会長、各委員会委員長、理事の自己紹介と挨拶が続きました。
会議内では、昨年度の決算と活動日程の報告、今年度の予算案と委員会活動企画案、今年の会活動日程の承認がされました。つつがなく、会議が進み、今年の三条祭りへの本格的な準備がスタートしました。
冒頭でもお知らせしましたが、ダイドードリンコ様が日本の祭りを応援する特別な缶を使用したお茶が発売されています。その中に三条祭りの名前も含まれていますので、お茶をお買い求めいただいた際はぜひ注意してご覧ください。